NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


亀田さんと浪江町大堀の松助窯を訪ねるより一足先に、亀田さんが現在拠点にされている大分県別府市の工房にお邪魔してきました。
この時も、LMN実行委員会委員でもある白河・EMANONの青砥さんにご一緒いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

震災後、ご家族で神奈川県に避難した後、大分県内に妹さんが住んでいらしたご縁もあって別府市に移られた亀田さん。
別府湾が見渡せる気持ちの良い丘に、亀田さんの新しい工房はありました。


工房は、内装から作陶の道具ひとつひとつに至るまで、不思議な統一感があって、亀田さんのスタイルが隅々まで浸透しているのが伝わってきます。
ご実家が窯元だったため、震災がなければこんなふうに工房を自分の好きなように一から作ることはなかった、と仰っていたのが印象的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

工房の一角の展示室で、大堀のこと、震災直後のこと、別府に移られてからのことなど、お話を伺いました。
別府に来られて工房を建てる間にも様々なご苦労があったそうで、「震災に遭ったけれども新天地でがんばっている陶芸家」という一言ではとても表せないストーリーがあるのだということを改めて実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亀田さんの工房でひときわ存在感を放っていたのが煉瓦製の薪窯。なんと手作りの薪窯です。大堀の松助窯に残るお父様が作られた登り窯での作陶の記憶があったからでしょうか。やはり薪窯で器を焼きたい、という強い思いがあり、ご自身で煉瓦を組み上げて作ったそうです。
かなりの重労働だったとのことですが、薪窯が完成した時に、「復興した」と感じられたそうです。


亀田さんは震災以前から、いわゆる伝統的な大堀相馬焼タイプの器ではなく、ご自身のオリジナルの作品を作っていた陶芸家さんです。
それでも、制作の参考になるからと、大堀に一時帰宅した際に持ち帰った古い大堀相馬焼が、展示室の棚に静かに置いてありました。
「父が残してくれた古い大堀相馬焼を通して、父と対話している」という亀田さんの言葉に、大堀相馬焼とは何か?という問いに対するひとつの答えがあるような気がしました。