プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ
ライフミュージアムネットワーク2020の取り組みのひとつ、「地域のアイデンティティと文化資源」をテーマとしたプログラム開発では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
江戸時代・元禄年間の開窯から300年以上にわたり、途絶えることなく作られ続けてきた大堀相馬焼。
その中心産地である浪江町大堀地区は、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で被災し、大堀相馬焼のすべての関係者が産地外への避難を余儀なくされました。
大堀地区は現在もなお帰還困難区域に指定されています。
これまでのリサーチでは、大堀相馬焼の窯元や職人、作家、組合関係の方々などを中心に、福島県内は南相馬市や新地町、県外は栃木県、東京都、長野県、大阪府、そして大分県と、それぞれの移住先を訪ね、お話を伺ってきました。
震災前までの暮らしはどのようなものだったのか。
大堀はどんなところだったのか。
大堀相馬焼はどのような存在なのか。
移住先では何があったか。
復興とは何か。
リサーチを通して見えてきたのは、「震災で大変な目に遭ったけれども新天地でがんばっている福島の伝統工芸関係の人々」という、ステレオタイプなひとことでは到底括ることができない、個々の物語でした。
たとえば窯元であっても、震災後、新たな場所で大堀相馬焼を作り続けている方、大堀相馬焼ではなく自身の作品を制作している方、器以外の別のものを作り始めた方、そもそも大堀にいたときからいわゆる大堀相馬焼は作っていなかった方など、その再開のかたちや考え方はさまざまです。
遠くは九州まで広範囲に及ぶ調査を、多様な立場の方々を対象に、中立的な見地に立って実行できるのはライフミュージアムネットワークの事業ならではのことです。
大堀相馬焼とは何か?という問いに対する答えは、ひとつの言葉で表せるものではありません。
捉えがたいその姿を目に見えるものにするために、個別のリサーチを積み上げてアプローチしていくことが必要です。
今後は、大堀相馬焼の作り手だけでなく、大堀相馬焼を使っていた地元・浪江町の方々や、コレクター、研究者、学校関係の方々などにもお話を伺っていきます。