2020年12月の記事一覧

NEW 県外事例調査(伊賀市島ヶ原)

県外のリサーチが続きます。


今回は三重県の伊賀、島ヶ原へ。


ここで行われている「蜜ノ木」という活動について、実行委員会委員の佐藤さん(アーツカウンシル東京)とともに、
活動を島ヶ原のみなさんと立ち上げ、継続している作家の岩名泰岳さんと、蜜ノ木メンバーであり奥様の岩名江里子さんにお聞きしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは「蜜ノ木」の拠点の一つでもある岩名さんのアトリエへ。
ここで「蜜ノ木」立ち上げから現在までをお聞きしました。
2004年に伊賀市に合併した旧島ヶ原村。
合併により島ヶ原の記憶がなくなってしまうことを恐れた中学生の岩名さん。
島ヶ原の記憶を残す手段として「絵」を認識します。
描くことをはじめてしばらくした高校1年生の時。
駅で伊賀市(旧上野町)出身の具体美術協会で活動した画家・元永定正に出逢います。
その後、元永が教える成安造形大学に進学、さらに現代美術を学ぼうとドイツへ留学。


留学2年目に日本では東日本大震災が起きました。
東日本大震災により島ヶ原に戻り社会に関わりながら制作することを決意。
島ヶ原に戻った後に、地元の同級生たちと地域のために何かできればとはじめたのが「蜜ノ木」でした。
「蜜ノ木」には様々な属性の20代から30代の若者が集まりました。
島ヶ原の歴史を調べたり、展示をしたり、トークイベントをしたり。
島ヶ原の中核をなす観菩提寺の修正会の新たな講となったり。
コロナ下では疫病退散の願いを込めて有志と島ヶ原の石仏やお寺めぐりもしていたそうです。


あらましをお聞きした後に出かけたフィールドワークではまず観菩提寺へご案内いただき、
堂守であり島ヶ原地域まちづくり協議会事務局長の山菅さんにお話をお聞きしました。
地域のみなさんの敬愛を受ける観菩提寺。
三十三年に一度ご開帳となる十一面観音菩薩立像を安置する本堂では、毎年2月に地域の複数の講が参加する修正会が行われていますが、近年、担い手不足が危惧されていたこと。
蜜ノ木講が新たに生まれ、さまざまな人が関わるようになったことなどを教えていただきました。


その後、観菩提寺の裏の観音山へ。
道に沿って大正時代に設置された石仏は西国三十三所巡礼の写し霊場になっています。
ここもまた岩名さんたちの興味の対象になっているよう。
続いて、島ヶ原内の行者堂や磨崖仏などにもご案内いただき、京都・奈良にも熊野にも伊勢にも遠くない伊賀島ヶ原の信仰の地としての気配を感じることもできました。


続いて初期の頃の蜜ノ木の拠点だったアトリエエコノミーへ。
元郵便局員だったアマチュア画家が地域のみなさんとの交流の場にもなればと手作りしていたアトリエ。
使用する前に元郵便局員さんがお亡くなりになり、しばらく放置されていたのをドイツから戻った岩名さんが使うことに。
手入れや掃除をすることが、蜜ノ木誕生前史であったそうです。
現在は蜜ノ木メンバーのお一人が制作で活用されていました。


そして再び現在の拠点・岩名さんのアトリエへ。
蜜ノ木の現場を巡った後にあらためてお話をお聞きしました。
農業や温泉業などさまざまな職種のメンバーによる蜜ノ木。
集まるだけだったり、土地のことを調べたり、あらためて歩きながら地域を探検したり、お寺の行事に本気で参加したり。
好きな時に、好きな内容に参加し、蜜ノ木メンバーであることは「各自の自称」。
ゆるやかなそのあり方は「文化系の青年団」と岩名さんは言います。
独立性の高さを保持した、アートプロジェクトでも事業体でもないそのあり方は他に類例をみないものです。
合併による地域の喪失感から端を発した(とも言える)蜜ノ木は島ヶ原の「記憶の記録」から発展して、
メンバーそれぞれのやり方で島ヶ原を「創造」しているように感じられました。