活動報告
プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ
プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
津島小学校最後の小学生で、浪江小学校・津島小学校の震災後の「ふるさとなみえ科」を残し伝える「10年間ふるさとなみえ博物館」館長の須藤嘉人くんを中心に展示作業を行った後、津島小学校の木村先生と武内先生に「大堀相馬焼とは?」についてお話を伺いました。
浪江小学校・津島小学校の「ふるさとなみえ科」では、大堀相馬焼体験が毎年必ず取り入れられてきました。
先生方には、「ふるさとなみえ科」の様々な活動の中で、大堀相馬焼はどのような存在だったのか、子どもたちや学校を見守ってくださった大人の皆さんの反応はどうだったか、震災前と震災後ではどう変わったか等々のお話をお聞きしました。
「ふるさとなみえ科」で児童がつくった「なみえっ子カルタ」の中に、「ぼくの夢 ろくろで大堀相馬焼」という1枚があります。
最初にこれを見たとき、将来大堀相馬焼の職人さんになりたい子がつくったのかな?と思っていたのですが、実はそうではなかったようです。
先生方によると、大堀相馬焼体験のうち、ろくろは高学年になってからでないと使えなかったそうです。このカルタは「早くろくろを使ってみたい」というあこがれの気持ちを表したものだとか。
子どもたちも大堀相馬焼体験を楽しみにしていた様子がうかがえます。
木村先生の、「子どもたちの心の引き出しの中のひとつに大堀相馬焼体験が入っていて、しばらくはしまったままになるかもしれないけれど、将来、何かの折りにふっと引き出しが開いて、思い出したり懐かしんだりしてくれると嬉しい」という言葉がとても印象的でした。
子どものうちに体験したことって、大人になってから思いがけないところで役に立ったり、心を豊かにしてくれたりするものですよね。
「ふるさとなみえ科」の大堀相馬焼体験もきっと(しばらくは出番待ち状態になるかもしれませんが)、浪江小・津島小の子どもたちの心の中の宝物になったのではないでしょうか。
プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」博物館づくり
プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
その一環で、浪江町立浪江小学校・津島小学校が2011年に避難先である二本松市に避難してから行ってきた「ふるさとなみえ科」について伝える「博物館」づくりのお手伝いをしています。
12月21日、津島小学校最後の小学生にして「10年間ふるさとなみえ博物館」館長の須藤嘉人君と2回目の展示作業を行いました。
まずは展示室となる教室の壁を強化・美化するために厚い板段ボールを取り付けます。
嘉人館長自らトンカチを握りました。
続いて、「10年間ふるさとなみえ博物館」の骨格となる10年間の活動年表や、授業のなかで、浪江町のことを調べてまとめた壁新聞などを貼り付けました。
年表の下には「ふるさとなみえ科」で児童や保護者のみなさんが製作した大堀相馬焼。
ロッカーを活かした教室ならではの展示です。
嘉人館長が博物館づくりの最初に考案した「博物館の使命」は二本松産の上川崎和紙に館長の自筆で書かれ、黒板に掲示されました。
この3つの使命を実現するために嘉人館長は展示候補の資料をカードにし、展示室図面を考えたのです。
最後に嘉人館長による「館長あいさつ」のテキスト案と展示室に掲示するパネルのテキスト案を読んでもらいました。
素晴らしい「館長あいさつ」は、今後の作業で展示室に設置されます。
10年間ふるさとなみえ博物館の完成までもう少しです。
連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第5回「奥会津をつなぐ」(最終回)
12月19日(土)、連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」最終回となる「奥会津をつなぐ」を、金山町中央公民館で開催しました。
しんしんと雪が降り積もる奥会津らしい雪景色の中、ディスカッションは始まりました。
前半は榎本千賀子さん(新潟大学創生学部特任助教)、栗城辰男さん(玉梨八町温泉組合会長)、栗城英雄さん(山入近隣会)にご登壇いただきました。
榎本さんは金山町民の角田勝之助さんが撮影してこられた数々の写真や、各家に残っている古い写真から金山町の歴史や文化を考える「かねやま「村の肖像」プロジェクト」に携わってこられました。
今回は民具、温泉、芸能をテーマに写真をご紹介いただきながら、お二人の栗城さんとともに、弥平民具コレクションの活用、八町温泉や山入歌舞伎が地域の核としてコミュニティや文化を育んできたことについてお話しいただきました。
弥平民具は金山町自然教育村会館(旧玉梨小学校)に収蔵されていますが、普段は一般公開されていないことから、金山町の手仕事に携わる人たちにもあまり知られていないそうです。
今年10月に開催された「またたび細工研究会」では、弥平民具に伝わる昔の編み組細工を囲んで、現在の作り手が作り方や材料の使い方について検討する場が設けられました。そこでは、現在のまたたび細工ではきれいに整える部分を、昔のものは修理のしやすさを第一に考えて作られているなど様々な発見があり、民具を介して現在と過去が行き来する対話が生まれました。今はしまいこまれている民具を活かすヒントがここにありそうです。
玉梨地区の八町温泉は男女混浴の共同浴場です。かつて青年団にとって温泉掃除に集い、男も女も一緒になって背中を流しあうことが何よりの楽しみだったと栗城辰男さんはおっしゃいます。
八町温泉を流れる野尻川にはかつて巨石が点在していました。石にはひとつひとつ名前がつけられ、信仰の対象であり、こどもたちの遊び場でもあったそうです。
しかし、昭和33年、44年の水害時、これらの巨石が川を堰き止めたことによって被害が拡大したことから爆破によって撤去されてしまいました。
風景が変わり、若者も減り、八町温泉の様相も大きく変わりました。維持管理もとても大変だといいます。
ですが、辰男さんは今もご夫婦で毎日八町温泉に行き、ご近所さんと一日のあれこれを話しながらお風呂に入ることが日課だそうです。まさにくらしの一部であり、人を結ぶ場です。
現在、玉梨地区の温泉は泉質の多様さが注目され、観光資源として開発が進められていますが、それだけではない、人と人とを結び文化が生まれる場という温泉の豊かさも伝えていけたらいいのではないかと榎本さんから提言がなされました。
金山町は江戸時代から農村歌舞伎が盛んで、かつては地区ごとに一座が組まれ興行されていましたが、現在残っているのは山入地区だけです。戦中・戦後途絶えている時期がありましたが、栗城英雄さんたちが中心となって平成2年に復活させました。かつての山入歌舞伎を知る人に教えてもらうことができるギリギリのタイミングだったそうです。
歌舞伎復活の背景には、横田小学校山入分校の廃校がありました。地域のコミュニティセンターでもあった小学校がなくなることで、つながりが失われてしまうのではないかという危機感があったそうです。そこで代わりとなる山入近隣会を設立し、様々な取り組みを行った中のひとつが歌舞伎でした。
歌舞伎を残すことが目的なのではなく、コミュニティをつないでいくための手段のひとつだったという英雄さんの言葉が印象的でした。
榎本さんからは歌舞伎に限らず、演劇やバンド、仮装や演芸会などなど、かつて金山町全体で芸能を楽しんでいた様子を伝える写真が紹介されました。演者も観客もそれぞれの仕方で場を盛り上げ、自分たちのくらしを自分たちで楽しいものにしていく、その豊かさが伝わってきます。
手仕事も温泉も芸能も「楽しみ」につながります。
衣食住に必須のものではないけれど、それがなくては「生きて」いけないもの。
金山町の人々は「生きる」達人だと感じました。
後半では、これまで対話のリレーをつないできた三島町、柳津町、只見町、昭和村、金山町から関係してくださった方々にご登壇いただき、振り返りが行われました。
メンバーは板橋淳也さん(三島町教育委員会生涯学習課長)、伊藤たまきさん(やないづ町立斎藤清美術館学芸員)、中野陽介さん(只見町役場地域創生課ユネスコエコパーク推進係主査)、松尾悠亮さん(昭和村からむし工芸博物館学芸員)、五ノ井智徳さん(金山町教育委員会教育係長)です。
互いに互いの会に参加してみて気づいたことは、やはり「共通性」と「個性」。
それぞれの地域で大切にしてきた暮らし方や文化は、いずれも後継者問題を抱えていますが、過去から現在まで形を変えながら伝えられてきた価値観を、何らかの形で未来につなぐ必要性をどの町村も切実に感じ、方法を模索しています。
それぞれの町村に独自の強みと得意分野があり、それを担う文化施設があること、他の町村の良さを自分の町村に取り込むにはどうしたらいいか、モノを残すだけでなく知識や思いを残すことの大切さ、こことそこがつながったらもっと面白いことができるのではないか。この連続ディスカッションに参加して様々な気づきがあったと登壇者から発言がありました。
第1回の三島町で、「各地のミュージアムは産土になれるか」という問いが講師の赤坂憲雄氏よりなされましたが、その種が芽生え始めていると感じられる最終回だったのではないでしょうか。
プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ
プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
12月15日、大堀相馬焼窯元「いかりや商店」の山田慎一さんと、山田さんのもとで働いていらっしゃる浪江町地域おこし協力隊の吉田さんにお話を伺いました。
同行していただいたのは、LMN実行委員会委員でもある白河・EMANONの青砥さんと、「ふるさとキャンパス」で白河に滞在中の大学生3名、そして同プログラムのオブザーバーをなさっている江田さんです。
大学生の皆さんは東京から白河に来られて4週間滞在し、明日または明後日東京に戻る、という最後のタイミングで山田さんのところで陶芸体験をすることになったそうで、LMNのインタビューにも参加していただきました。
若々しい顔ぶれが新鮮です。
山田さんは、大堀相馬焼の窯元の13代目。東日本大震災後、東京などでの避難生活を経て白河市に移り、2013年に白河市内に工房を開設しました。
山田さんへのインタビューでは、震災後の白河での生活や仕事のこと、大堀相馬焼に対する思い、また地域おこし協力隊の受け入れや後継者育成についてお話いただきました。
大学生の皆さんからも、大堀相馬焼を今後どのようにアピールしていきたいかなど、興味深い質問が挙がりました。
山田さんのもとで働いていらっしゃる吉田さんは、兵庫県出身。大学で陶芸を専攻され、卒業後に浪江町地域おこし協力隊として来られて、もうすぐ3年になるそうです。
数ある産地の中から大堀相馬焼を選んだ理由のひとつが、大堀相馬焼の特徴でもある「二重焼」だそうで、二重焼なら器が二重構造だからロクロをひく回数が二倍になるため技術を磨くのに良いと思われたとのこと。
作り手ならではの着眼点ですね。
師弟の関係にある山田さんと吉田さん。これからの大堀相馬焼を担っていく吉田さんの今後の計画についても(一部はまだ秘密だそうですが)いろいろ話してくださいました。
陶芸体験では、山田さんと吉田さんが作り方を丁寧に指導されていました。
白河に来られてから地元の小中学校の児童・生徒に陶芸を教える機会もけっこう多いそうで、お二人が大堀相馬焼を通じて地域との繋がりを作ってこられた姿を垣間見させていただいたような気がしました。
プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ
プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
12月10日、実行委員会委員の岩手大学の福留邦洋先生と二本松市に避難されている浪江町のみなさんの「コスモス会」にお邪魔し、みなさんにとっての「大堀相馬焼」について教えていただきました。
コスモス会では、毎月1回、集まったメンバーで近況報告などをお話しして過ごされているそうです。
今年最後となった今日のコスモス会はクリスマスと忘年会を兼ねたようなもの?!
和やかにお話しされている所、お時間をいただきました。
「みなさんのお宅に大堀相馬焼はありましたか?」
そんな質問からはじまったフリーヒアリング(?)は賑やかな時間となりました。
ご実家が大堀地区で、窯元さんがご近所だった方は大堀相馬焼が故郷の象徴のようと話してくださいました。
避難後の家にもたくさんの大堀相馬焼を置いているそうです。
引き出物や記念品としてもらうことが多かった人、多数。
「もらってもしまっておいたり、飾っておいたり。普段には使わなかったよね〜」という人も多数。
暮らしの中で大堀相馬焼が用いられていたのは、神棚や仏壇前の花瓶としてが多かったようです。神様、仏様に差し上げる植物をいける特別な器だったのですね。
もう一つの暮らしの中の定番は大堀相馬焼の特徴の一つである二重焼の湯呑み。
こちらは「二重焼きは洗いにくくって」という厳しい声多数。台所を預かる女性陣らしいコメントです。洗い方も身振り手振り教えてくださいました。
2011年までは大堀相馬焼に特に興味はなかったけど避難してから、浪江の大切な文化なんだと気になるようになった方も。
二本松市内にあった大堀相馬焼の工房で求めたグラスと鉢は今もお使いになっているそうです。
避難先で新たな生活を立てる方もいる中、子どもたちの世代に「大堀相馬焼」が伝わっていかないのではないか、という心配のお声も上がりました。
「楽しくお話しさせてもらってありがとう〜」と言いながらお帰りになる笑顔にホッとしつつ、
浪江町のみなさんにとっての「大堀相馬焼」を調べ、まとめる本プロジェクトが、少しでもお役に立てるようにと決意するリサーチになりました。