2021年1月の記事一覧

NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


大堀相馬焼リサーチの最後を飾るのは、大堀相馬焼窯元 春山(しゅんざん)窯13代目の小野田利治さんです。小野田さんは2015年より大堀相馬焼協同組合の理事長を務めていらっしゃいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野田さんは東日本大震災後、家族が二本松市といわき市に分かれて暮らす状況の中、まずはいわき市に仮設工房を開設し、作陶や陶芸教室を再開しました。その後、2017年11月に本宮市に拠点を移し、現在の工房・店舗を設けました。
震災以前より特に陶芸教室に力を注いでこられた小野田さん。いわき市の仮設工房は生徒さんたちの協力や後押しがあって開設に至ったのだそうです。


小野田さんには、ご自身の大堀相馬焼に対する思いや、震災後の組合の様子や今後について、さらに現在「道の駅なみえ」の敷地内に建設中の「大堀相馬焼伝承館(仮)」についてお聞きしました。
伝承館には、大堀相馬焼の展示販売施設をはじめ、陶芸教室ができる工房や、焼成のための窯も設置される予定だそうです。


大堀相馬焼は浪江町の方々にとって誇りであってほしい、と仰った小野田さん。
浪江町にできる新たな拠点施設で、大堀相馬焼に触れて、学んでいってほしいとのことです。
完成が楽しみですね。

NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


今回のリサーチでは南相馬市博物館にお邪魔して、大堀相馬焼のコレクター、そして研究者でもある末永福男さんと、同館館長でライフミュージアムネットワーク実行委員会委員の堀耕平さんにお話を伺ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

末永さんは、南相馬市博物館の収集展示委員会の自然部会長も務めていらっしゃると同時に、同館のあぶくま生物同好会事務局長もなさっており、南相馬市博物館とは深い繋がりを持っていらっしゃいます。
この日、末永さんはご自宅からご自身の大堀相馬焼コレクションを持ってきてくださいました。しかしこれらはまだまだコレクションの一部だそうです。
末永さんには、大堀相馬焼の魅力や収集のきっかけ、東日本大震災後のこと、またコレクションの今後についてなどお聞きしました。
特に興味深かったのが、末永さんと、他の大堀相馬焼のコレクターさんや骨董屋さんとの繋がりです。大堀相馬焼を通して様々な方と交流を持たれた末永さん。
品物のやりとりはもちろんのこと、ある時は一緒にお酒を飲んだり、またある時は血縁関係がないにも関わらず葬儀のお手伝いをされたこともあったそうです。


南相馬市博物館では大堀相馬焼や相馬駒焼のコレクションを収蔵しています。同館の堀館長には、地域のミュージアムにとって大堀相馬焼はどういった存在か、震災前後でどう変わったか、また今後どのようになっていくと良いか等々お伺いしました。


大堀相馬焼とは、第一義的には焼きもの、いわゆる「うつわ」なのですが、お二人のお話を伺っていると、大堀相馬焼は「うつわ」の域を超えて、人と人とを繋ぐ役割を果たす存在になっているということを感じました。

NEW 県外事例調査(富山県氷見市)

県外事例調査として、富山県氷見市の氷見市立博物館にお邪魔いたしました。


今回の目的は、氷見市立博物館が長年に渡って取り組んでいらっしゃる「地域回想法」。
氷見市教育委員会に所属しながら氷見市立博物館における「地域回想法」を育て上げてきた小谷超さんにお話を伺いました。


そもそも、「回想法」とは、写真や音楽、昔使っていた道具を見たり触ったりしながら、昔の経験や思い出を語り合うといった心理療法の一種で、認知症の方へのアプローチとして注目されています。ポイントは「過去を振り返り、楽しむこと」を活用すること。
そして「地域回想法」とは簡単にいえば「地域で行う回想法」。
回想法では、上に挙げたようなモノ・コトを用いて回想を行います。当然それらは参加者誰もが知っているものであることが望ましい。参加者が同じ地域の方々なら、そこで日常的に使われてきた道具、育まれてきた文化が共通項になります。
地域(その範囲の広狭はあれ)の歴史や文化を見つめてきたミュージアムには、そんな「過去を思い出す」ために活用できる様々な資料が集められているわけですから、回想法を利用した事業と相性がいい。ということで、近年こうした取り組みを始めるミュージアムも増加しています。


とはいえ、継続的な事業へと発展・維持されている例は少ないのが現状です。
そもそもこうした高齢者を対象にした事業に理解が示されないこと、ミュージアムも介護福祉施設も慢性的な人員不足から負担が大きくなり過ぎてしまうこと…。
氷見市立博物館では平成23年度から本格的に「地域回想法」を実施し始めましたが、小谷さんも、最初は予算もない中で手探りからのスタートだったとおっしゃいます。
その中で、高齢者施設の方の入館料を無料にしたり、介護職の方に向けた研修会を行ったり、地域の高齢者の集いに出かけて行ったりと、様々な働きかけを行ったそうです。博物館の認知度が低いことに悩み、国の助成金が得てバスの送迎付きで博物館に足を運んでもらうこともしたそうです。その後、事業が停滞した時期もあったそうですが、平成29年には氷見市地域回想法活動ネットワーク連絡会「ほっこり回想クラブひみ」を結成。介護職員や看護師、地域のボランティアの方々を中心に、市民主体での主体的な活動が継続して行われているのです。


氷見市立博物館で地域回想法が継続されている理由はどこにあるのでしょうか。
第一には小谷さんの存在があるでしょう。「人とお話することが楽しくて、好きなだけなんです」とはにかんだような笑顔とは対照的なパワフルさ。回想法や心理療法の専門家ではなかったにもかかわらず、模索しながらこの事業をけん引してきたバイタリティには脱帽です。
一方で、様々な立場の人を上手く巻き込んできたのも成功の秘訣なのでしょう。介護施設、市の福祉・介護予防部局との連携、元あるいは現役の介護・医療職の方を含めた市民活動。多くの歯車がかみ合って、氷見市の地域回想法が回っているように感じました。


小谷さんは地域回想法を通じて、高齢者の方々と小学生の交流事業を行ったときのこと。昔の話を色々と聞かせていただいた後、最後に「80年生きてきたおばあちゃんの手をさわってみましょう」と呼びかけ、小学生たちはその手をさわり握らせていただいたそうです。
老いるということは何かを失うだけでなく、経験という豊かな財産を蓄積させていくことなのだと、そしてそれは何ものにも代えがたい価値のあることなのだと、私たちは改めて認識しなければいけないのでしょう。

NEW オープンディスカッション「浪江の記憶の残し方・伝え方」(1月11日開催)打ち合わせ

少し寒さが和らいだクリスマスイブ。
2021年最初のイベント、1月11日(月・祝)に二本松市で開催するオープンディスカッション「浪江の記憶の残し方・伝え方」の事前打ち合わせを行いました。


まずは、講師を務めてくださる御三方と浪江町立津島小学校へ。
講師のお一人、浪江小学校津島小学校を応援する会会長の原田雄一さんにとってはこの10年間通い慣れた小学校。
人間文化研究機構国文学研究資料館准教授の西村慎太郎さん、歌人の三原由起子さんは初めての訪問です。


本オープンディスカッション開催の背景となった二本松市内の再開校・浪江小学校と津島小学校の「ふるさとなみえ科」と
その活動を残し伝える博物館づくりについて、木村校長先生にお伺いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休校・閉校している浪江町立の6つの小学校を代表するつもりで避難先の二本松市で開校してきたこと。
当初は、浪江町を離れて育つ小学生たちに浪江を知ってもらう趣旨だったこと。
やがて、暮らす二本松市と浪江町の両方の歴史と文化を学ぶようになったこと。
そして、閉校が決まってからのこの2年間はこの10年間を残す活動をしてきたこと。


昨年度閉校した浪江小学校に続き、今年度閉校する津島小学校最後の児童・須藤嘉人君が先生たちと、少しお手伝いしているライフミュージアムネットワーク と、この半年かけて作ってきた「10年間まるごとなみえ博物館」も特別に見学させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて、原田さんが二本松市内にある浪江町の皆さんが暮らす復興公営住宅近くに再開した原田時計店へ。
浪江町にあった3店舗が軒を並べる建物は時に駐車場にテントを貼って浪江町のみなさんの交流イベント会場にもなっています。


二本松市内にポツンと存在することになった避難先再開校の浪江町立浪江小学校・津島小学校に本来あるべき地域との関わりをできるだけ渡したいと、この10年間、小学校の支援をしてきたという原田さん。
その思いをお聞きした後、ディスカッションの内容について話し合いました。


西村さん、原田さん、三原さんがこれまでそれぞれに取り組んできた「浪江の記憶の残し方・伝え方」。
1月11日(月・祝)は、「小学校」を起点に議論することになりそうです。

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NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


津島小学校最後の小学生で、浪江小学校・津島小学校の震災後の「ふるさとなみえ科」を残し伝える「10年間ふるさとなみえ博物館」館長の須藤嘉人くんを中心に展示作業を行った後、津島小学校の木村先生と武内先生に「大堀相馬焼とは?」についてお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浪江小学校・津島小学校の「ふるさとなみえ科」では、大堀相馬焼体験が毎年必ず取り入れられてきました。
先生方には、「ふるさとなみえ科」の様々な活動の中で、大堀相馬焼はどのような存在だったのか、子どもたちや学校を見守ってくださった大人の皆さんの反応はどうだったか、震災前と震災後ではどう変わったか等々のお話をお聞きしました。


「ふるさとなみえ科」で児童がつくった「なみえっ子カルタ」の中に、「ぼくの夢 ろくろで大堀相馬焼」という1枚があります。
最初にこれを見たとき、将来大堀相馬焼の職人さんになりたい子がつくったのかな?と思っていたのですが、実はそうではなかったようです。
先生方によると、大堀相馬焼体験のうち、ろくろは高学年になってからでないと使えなかったそうです。このカルタは「早くろくろを使ってみたい」というあこがれの気持ちを表したものだとか。
子どもたちも大堀相馬焼体験を楽しみにしていた様子がうかがえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木村先生の、「子どもたちの心の引き出しの中のひとつに大堀相馬焼体験が入っていて、しばらくはしまったままになるかもしれないけれど、将来、何かの折りにふっと引き出しが開いて、思い出したり懐かしんだりしてくれると嬉しい」という言葉がとても印象的でした。
子どものうちに体験したことって、大人になってから思いがけないところで役に立ったり、心を豊かにしてくれたりするものですよね。


「ふるさとなみえ科」の大堀相馬焼体験もきっと(しばらくは出番待ち状態になるかもしれませんが)、浪江小・津島小の子どもたちの心の中の宝物になったのではないでしょうか。

NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」博物館づくり

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


その一環で、浪江町立浪江小学校・津島小学校が2011年に避難先である二本松市に避難してから行ってきた「ふるさとなみえ科」について伝える「博物館」づくりのお手伝いをしています。


12月21日、津島小学校最後の小学生にして「10年間ふるさとなみえ博物館」館長の須藤嘉人君と2回目の展示作業を行いました。


まずは展示室となる教室の壁を強化・美化するために厚い板段ボールを取り付けます。
嘉人館長自らトンカチを握りました。
続いて、「10年間ふるさとなみえ博物館」の骨格となる10年間の活動年表や、授業のなかで、浪江町のことを調べてまとめた壁新聞などを貼り付けました。
年表の下には「ふるさとなみえ科」で児童や保護者のみなさんが製作した大堀相馬焼。
ロッカーを活かした教室ならではの展示です。


嘉人館長が博物館づくりの最初に考案した「博物館の使命」は二本松産の上川崎和紙に館長の自筆で書かれ、黒板に掲示されました。
この3つの使命を実現するために嘉人館長は展示候補の資料をカードにし、展示室図面を考えたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に嘉人館長による「館長あいさつ」のテキスト案と展示室に掲示するパネルのテキスト案を読んでもらいました。
素晴らしい「館長あいさつ」は、今後の作業で展示室に設置されます。
10年間ふるさとなみえ博物館の完成までもう少しです。

NEW 連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第5回「奥会津をつなぐ」(最終回)

12月19日(土)、連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」最終回となる「奥会津をつなぐ」を、金山町中央公民館で開催しました。


しんしんと雪が降り積もる奥会津らしい雪景色の中、ディスカッションは始まりました。
前半は榎本千賀子さん(新潟大学創生学部特任助教)、栗城辰男さん(玉梨八町温泉組合会長)、栗城英雄さん(山入近隣会)にご登壇いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

榎本さんは金山町民の角田勝之助さんが撮影してこられた数々の写真や、各家に残っている古い写真から金山町の歴史や文化を考える「かねやま「村の肖像」プロジェクト」に携わってこられました。
今回は民具、温泉、芸能をテーマに写真をご紹介いただきながら、お二人の栗城さんとともに、弥平民具コレクションの活用、八町温泉や山入歌舞伎が地域の核としてコミュニティや文化を育んできたことについてお話しいただきました。


弥平民具は金山町自然教育村会館(旧玉梨小学校)に収蔵されていますが、普段は一般公開されていないことから、金山町の手仕事に携わる人たちにもあまり知られていないそうです。
今年10月に開催された「またたび細工研究会」では、弥平民具に伝わる昔の編み組細工を囲んで、現在の作り手が作り方や材料の使い方について検討する場が設けられました。そこでは、現在のまたたび細工ではきれいに整える部分を、昔のものは修理のしやすさを第一に考えて作られているなど様々な発見があり、民具を介して現在と過去が行き来する対話が生まれました。今はしまいこまれている民具を活かすヒントがここにありそうです。


玉梨地区の八町温泉は男女混浴の共同浴場です。かつて青年団にとって温泉掃除に集い、男も女も一緒になって背中を流しあうことが何よりの楽しみだったと栗城辰男さんはおっしゃいます。
八町温泉を流れる野尻川にはかつて巨石が点在していました。石にはひとつひとつ名前がつけられ、信仰の対象であり、こどもたちの遊び場でもあったそうです。
しかし、昭和33年、44年の水害時、これらの巨石が川を堰き止めたことによって被害が拡大したことから爆破によって撤去されてしまいました。
風景が変わり、若者も減り、八町温泉の様相も大きく変わりました。維持管理もとても大変だといいます。
ですが、辰男さんは今もご夫婦で毎日八町温泉に行き、ご近所さんと一日のあれこれを話しながらお風呂に入ることが日課だそうです。まさにくらしの一部であり、人を結ぶ場です。
現在、玉梨地区の温泉は泉質の多様さが注目され、観光資源として開発が進められていますが、それだけではない、人と人とを結び文化が生まれる場という温泉の豊かさも伝えていけたらいいのではないかと榎本さんから提言がなされました。


金山町は江戸時代から農村歌舞伎が盛んで、かつては地区ごとに一座が組まれ興行されていましたが、現在残っているのは山入地区だけです。戦中・戦後途絶えている時期がありましたが、栗城英雄さんたちが中心となって平成2年に復活させました。かつての山入歌舞伎を知る人に教えてもらうことができるギリギリのタイミングだったそうです。
歌舞伎復活の背景には、横田小学校山入分校の廃校がありました。地域のコミュニティセンターでもあった小学校がなくなることで、つながりが失われてしまうのではないかという危機感があったそうです。そこで代わりとなる山入近隣会を設立し、様々な取り組みを行った中のひとつが歌舞伎でした。
歌舞伎を残すことが目的なのではなく、コミュニティをつないでいくための手段のひとつだったという英雄さんの言葉が印象的でした。
榎本さんからは歌舞伎に限らず、演劇やバンド、仮装や演芸会などなど、かつて金山町全体で芸能を楽しんでいた様子を伝える写真が紹介されました。演者も観客もそれぞれの仕方で場を盛り上げ、自分たちのくらしを自分たちで楽しいものにしていく、その豊かさが伝わってきます。


手仕事も温泉も芸能も「楽しみ」につながります。
衣食住に必須のものではないけれど、それがなくては「生きて」いけないもの。
金山町の人々は「生きる」達人だと感じました。


後半では、これまで対話のリレーをつないできた三島町、柳津町、只見町、昭和村、金山町から関係してくださった方々にご登壇いただき、振り返りが行われました。
メンバーは板橋淳也さん(三島町教育委員会生涯学習課長)、伊藤たまきさん(やないづ町立斎藤清美術館学芸員)、中野陽介さん(只見町役場地域創生課ユネスコエコパーク推進係主査)、松尾悠亮さん(昭和村からむし工芸博物館学芸員)、五ノ井智徳さん(金山町教育委員会教育係長)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

互いに互いの会に参加してみて気づいたことは、やはり「共通性」と「個性」。
それぞれの地域で大切にしてきた暮らし方や文化は、いずれも後継者問題を抱えていますが、過去から現在まで形を変えながら伝えられてきた価値観を、何らかの形で未来につなぐ必要性をどの町村も切実に感じ、方法を模索しています。
それぞれの町村に独自の強みと得意分野があり、それを担う文化施設があること、他の町村の良さを自分の町村に取り込むにはどうしたらいいか、モノを残すだけでなく知識や思いを残すことの大切さ、こことそこがつながったらもっと面白いことができるのではないか。この連続ディスカッションに参加して様々な気づきがあったと登壇者から発言がありました。


第1回の三島町で、「各地のミュージアムは産土になれるか」という問いが講師の赤坂憲雄氏よりなされましたが、その種が芽生え始めていると感じられる最終回だったのではないでしょうか。

NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


12月15日、大堀相馬焼窯元「いかりや商店」の山田慎一さんと、山田さんのもとで働いていらっしゃる浪江町地域おこし協力隊の吉田さんにお話を伺いました。


同行していただいたのは、LMN実行委員会委員でもある白河・EMANONの青砥さんと、「ふるさとキャンパス」で白河に滞在中の大学生3名、そして同プログラムのオブザーバーをなさっている江田さんです。
大学生の皆さんは東京から白河に来られて4週間滞在し、明日または明後日東京に戻る、という最後のタイミングで山田さんのところで陶芸体験をすることになったそうで、LMNのインタビューにも参加していただきました。
若々しい顔ぶれが新鮮です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山田さんは、大堀相馬焼の窯元の13代目。東日本大震災後、東京などでの避難生活を経て白河市に移り、2013年に白河市内に工房を開設しました。
山田さんへのインタビューでは、震災後の白河での生活や仕事のこと、大堀相馬焼に対する思い、また地域おこし協力隊の受け入れや後継者育成についてお話いただきました。
大学生の皆さんからも、大堀相馬焼を今後どのようにアピールしていきたいかなど、興味深い質問が挙がりました。


山田さんのもとで働いていらっしゃる吉田さんは、兵庫県出身。大学で陶芸を専攻され、卒業後に浪江町地域おこし協力隊として来られて、もうすぐ3年になるそうです。
数ある産地の中から大堀相馬焼を選んだ理由のひとつが、大堀相馬焼の特徴でもある「二重焼」だそうで、二重焼なら器が二重構造だからロクロをひく回数が二倍になるため技術を磨くのに良いと思われたとのこと。
作り手ならではの着眼点ですね。
師弟の関係にある山田さんと吉田さん。これからの大堀相馬焼を担っていく吉田さんの今後の計画についても(一部はまだ秘密だそうですが)いろいろ話してくださいました。


陶芸体験では、山田さんと吉田さんが作り方を丁寧に指導されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白河に来られてから地元の小中学校の児童・生徒に陶芸を教える機会もけっこう多いそうで、お二人が大堀相馬焼を通じて地域との繋がりを作ってこられた姿を垣間見させていただいたような気がしました。

NEW プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ

プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。


12月10日、実行委員会委員の岩手大学の福留邦洋先生と二本松市に避難されている浪江町のみなさんの「コスモス会」にお邪魔し、みなさんにとっての「大堀相馬焼」について教えていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コスモス会では、毎月1回、集まったメンバーで近況報告などをお話しして過ごされているそうです。
今年最後となった今日のコスモス会はクリスマスと忘年会を兼ねたようなもの?!
和やかにお話しされている所、お時間をいただきました。


「みなさんのお宅に大堀相馬焼はありましたか?」
そんな質問からはじまったフリーヒアリング(?)は賑やかな時間となりました。
ご実家が大堀地区で、窯元さんがご近所だった方は大堀相馬焼が故郷の象徴のようと話してくださいました。
避難後の家にもたくさんの大堀相馬焼を置いているそうです。
引き出物や記念品としてもらうことが多かった人、多数。
「もらってもしまっておいたり、飾っておいたり。普段には使わなかったよね〜」という人も多数。
暮らしの中で大堀相馬焼が用いられていたのは、神棚や仏壇前の花瓶としてが多かったようです。神様、仏様に差し上げる植物をいける特別な器だったのですね。


もう一つの暮らしの中の定番は大堀相馬焼の特徴の一つである二重焼の湯呑み。
こちらは「二重焼きは洗いにくくって」という厳しい声多数。台所を預かる女性陣らしいコメントです。洗い方も身振り手振り教えてくださいました。


2011年までは大堀相馬焼に特に興味はなかったけど避難してから、浪江の大切な文化なんだと気になるようになった方も。
二本松市内にあった大堀相馬焼の工房で求めたグラスと鉢は今もお使いになっているそうです。
避難先で新たな生活を立てる方もいる中、子どもたちの世代に「大堀相馬焼」が伝わっていかないのではないか、という心配のお声も上がりました。


「楽しくお話しさせてもらってありがとう〜」と言いながらお帰りになる笑顔にホッとしつつ、
浪江町のみなさんにとっての「大堀相馬焼」を調べ、まとめる本プロジェクトが、少しでもお役に立てるようにと決意するリサーチになりました。