活動報告
2021年7月 今年度のリサーチ開始!
2021年度、リサーチを開始しました。
ライフミュージアムネットワーク実行委員会は
今年度、「ポリフォニックミュージアム~文化の光を灯す星々~」という事業名のもと、ラウンドテーブルやアートワークショップを実施します。
アートワークショップのひとつ「海幸山幸の道」では、
「食」をテーマに、阿武隈山系からいわきの沿岸地域に至るルートをたどります。
その第1回目となるリサーチを、実行委員会委員の平野雅彦さん(静岡大学教授)、結城正美さん(青山学院大学教授)にご一緒いただき、7月29日~31日に行いました。
7月29日~30日:飯舘村
東日本大震災時に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故によって多大な影響を受け、今なお一部の地域が帰還困難区域となる飯舘村で、農業・産業の再生にとりくむ認定NPO法人ふくしま再生の会理事長・田尾陽一さんに飯舘村をご案内いただきました。
飯舘村のみなさんの信仰を集めている神社のひとつ、山津見神社にお参りし、神の使いの狼に見守られながら、リサーチはスタートしました。
飯舘村は標高が高く寒冷。そのため野菜が美味しく、星がとても美しく見える土地でもあります。まずご案内いただいたのは、東北大学大学院理学研究科が設置する惑星圏飯舘観測所。巨大な電波望遠鏡が仙台市からの遠隔制御のもと、震災以前から静かに惑星の動きを捉えています。使われなくなった光学望遠鏡のドームでは、現在、その音響効果を活かした音楽イベントなどを行い、地域の人が集う場所となるような試みがなされています。
次に訪れたのは、現在も帰還困難区域に指定されている長泥地区。
長泥から浪江町・葛尾村に抜ける国道399号線は、生活文化圏を同じにする人々が往来する生活道路でした。このルートは、震災以前、星空と美味しい食を売りとした「阿武隈ロマンチック街道」として、沿道の町村が連携する道でもありました。現在は飯舘村と浪江町の境にゲートが設けられ往来はかないません。そこが開通し、例えば峠の茶屋を設けて食を提供する、そうすることによって人が動き、制度を動かすこと、それが再生への第一歩であるとお話しいただきました。
長泥地区では5000ベクレル以下の廃棄物や土を地中に埋める作業も進められており、土地と農の再生に突き付けられた現実についても教えていただきました。
飯舘村の中心地に戻り、ホームセンター・コメリ跡地を活用した、新たな村づくりに取り組む、合同会社MARBLINGの矢野純さん、松本奈々さんにお話をお聞きしました。
MARBLINGのコンセプトは「近未来のいなかを考えること」。原発事故によって加速度的に課題が浮き彫りとなった飯舘村で、農業・産業・大学・役場が連携した地域づくりを試行しています。土地に根差した知恵と先端技術との接続、自然と人間との関係性の再構築、アート的手法の導入(農民はアーティスト!)という観点から、やわらかくつながりを築いていこうとしている姿に、「これから」を感じました。
リサーチ第1日目の振り返りとミーティングは、合同会社虎捕の里が営んでいる「風と土の家」で行わせていただきました。
飯舘村旧佐須小学校の建具や、仮設住宅の資材を用いた交流・宿泊施設です。
飯舘村の今を知るツアーの拠点として、これまで80ヶ国以上の人々を受け入れてきました。
飯舘村のこれまで・これからについて語り合いました。
翌日は飯舘村で実際に農業・畜産業を営む方のもとへ。
福島では多くの地域で、表層の汚染土をはぎ取り、その上に山砂を敷くという除染を行ってきました。しかしそれは、農業を営む人にとって、長年慈しんできた土を手放すことでもあります。山砂を入れずに本来の土を耕すことに尽力してきた斎藤次男さんの畑では、カボチャや瓢箪が豊かに実っていました。また農に関わる若手アーティストを受け入れ、試行錯誤をともに楽しむ畑づくりが行われていました。
リサーチの最後には、山田猛史さんが営む牧場へ。山田さんは震災後、牛を連れて白河に避難しましたが、飯舘村の避難指示が解除された後、いち早く村に戻り畜産業を再開しました。牛には奥さまや娘さん、昔好きだったひとの名前を付けているんだよ、と茶目っ気たっぷりな山田さん。
斎藤さんと山田さんにお話をお聞きするのは少し駆け足になってしまいました。再度、ぜひじっくりとお話を伺いたいと思います。
プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ
プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
大堀相馬焼リサーチの最後を飾るのは、大堀相馬焼窯元 春山(しゅんざん)窯13代目の小野田利治さんです。小野田さんは2015年より大堀相馬焼協同組合の理事長を務めていらっしゃいます。
小野田さんは東日本大震災後、家族が二本松市といわき市に分かれて暮らす状況の中、まずはいわき市に仮設工房を開設し、作陶や陶芸教室を再開しました。その後、2017年11月に本宮市に拠点を移し、現在の工房・店舗を設けました。
震災以前より特に陶芸教室に力を注いでこられた小野田さん。いわき市の仮設工房は生徒さんたちの協力や後押しがあって開設に至ったのだそうです。
小野田さんには、ご自身の大堀相馬焼に対する思いや、震災後の組合の様子や今後について、さらに現在「道の駅なみえ」の敷地内に建設中の「大堀相馬焼伝承館(仮)」についてお聞きしました。
伝承館には、大堀相馬焼の展示販売施設をはじめ、陶芸教室ができる工房や、焼成のための窯も設置される予定だそうです。
大堀相馬焼は浪江町の方々にとって誇りであってほしい、と仰った小野田さん。
浪江町にできる新たな拠点施設で、大堀相馬焼に触れて、学んでいってほしいとのことです。
完成が楽しみですね。
プログラム開発「地域資源の活用による地域アイデンティティの再興プログラム」リサーチ
プログラム開発の一つ「地域のアイデンティティと文化資源」では、浪江町の伝統的工芸品・大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)を取り上げています。
今回のリサーチでは南相馬市博物館にお邪魔して、大堀相馬焼のコレクター、そして研究者でもある末永福男さんと、同館館長でライフミュージアムネットワーク実行委員会委員の堀耕平さんにお話を伺ってきました。
末永さんは、南相馬市博物館の収集展示委員会の自然部会長も務めていらっしゃると同時に、同館のあぶくま生物同好会事務局長もなさっており、南相馬市博物館とは深い繋がりを持っていらっしゃいます。
この日、末永さんはご自宅からご自身の大堀相馬焼コレクションを持ってきてくださいました。しかしこれらはまだまだコレクションの一部だそうです。
末永さんには、大堀相馬焼の魅力や収集のきっかけ、東日本大震災後のこと、またコレクションの今後についてなどお聞きしました。
特に興味深かったのが、末永さんと、他の大堀相馬焼のコレクターさんや骨董屋さんとの繋がりです。大堀相馬焼を通して様々な方と交流を持たれた末永さん。
品物のやりとりはもちろんのこと、ある時は一緒にお酒を飲んだり、またある時は血縁関係がないにも関わらず葬儀のお手伝いをされたこともあったそうです。
南相馬市博物館では大堀相馬焼や相馬駒焼のコレクションを収蔵しています。同館の堀館長には、地域のミュージアムにとって大堀相馬焼はどういった存在か、震災前後でどう変わったか、また今後どのようになっていくと良いか等々お伺いしました。
大堀相馬焼とは、第一義的には焼きもの、いわゆる「うつわ」なのですが、お二人のお話を伺っていると、大堀相馬焼は「うつわ」の域を超えて、人と人とを繋ぐ役割を果たす存在になっているということを感じました。
県外事例調査(富山県氷見市)
県外事例調査として、富山県氷見市の氷見市立博物館にお邪魔いたしました。
今回の目的は、氷見市立博物館が長年に渡って取り組んでいらっしゃる「地域回想法」。
氷見市教育委員会に所属しながら氷見市立博物館における「地域回想法」を育て上げてきた小谷超さんにお話を伺いました。
そもそも、「回想法」とは、写真や音楽、昔使っていた道具を見たり触ったりしながら、昔の経験や思い出を語り合うといった心理療法の一種で、認知症の方へのアプローチとして注目されています。ポイントは「過去を振り返り、楽しむこと」を活用すること。
そして「地域回想法」とは簡単にいえば「地域で行う回想法」。
回想法では、上に挙げたようなモノ・コトを用いて回想を行います。当然それらは参加者誰もが知っているものであることが望ましい。参加者が同じ地域の方々なら、そこで日常的に使われてきた道具、育まれてきた文化が共通項になります。
地域(その範囲の広狭はあれ)の歴史や文化を見つめてきたミュージアムには、そんな「過去を思い出す」ために活用できる様々な資料が集められているわけですから、回想法を利用した事業と相性がいい。ということで、近年こうした取り組みを始めるミュージアムも増加しています。
とはいえ、継続的な事業へと発展・維持されている例は少ないのが現状です。
そもそもこうした高齢者を対象にした事業に理解が示されないこと、ミュージアムも介護福祉施設も慢性的な人員不足から負担が大きくなり過ぎてしまうこと…。
氷見市立博物館では平成23年度から本格的に「地域回想法」を実施し始めましたが、小谷さんも、最初は予算もない中で手探りからのスタートだったとおっしゃいます。
その中で、高齢者施設の方の入館料を無料にしたり、介護職の方に向けた研修会を行ったり、地域の高齢者の集いに出かけて行ったりと、様々な働きかけを行ったそうです。博物館の認知度が低いことに悩み、国の助成金が得てバスの送迎付きで博物館に足を運んでもらうこともしたそうです。その後、事業が停滞した時期もあったそうですが、平成29年には氷見市地域回想法活動ネットワーク連絡会「ほっこり回想クラブひみ」を結成。介護職員や看護師、地域のボランティアの方々を中心に、市民主体での主体的な活動が継続して行われているのです。
氷見市立博物館で地域回想法が継続されている理由はどこにあるのでしょうか。
第一には小谷さんの存在があるでしょう。「人とお話することが楽しくて、好きなだけなんです」とはにかんだような笑顔とは対照的なパワフルさ。回想法や心理療法の専門家ではなかったにもかかわらず、模索しながらこの事業をけん引してきたバイタリティには脱帽です。
一方で、様々な立場の人を上手く巻き込んできたのも成功の秘訣なのでしょう。介護施設、市の福祉・介護予防部局との連携、元あるいは現役の介護・医療職の方を含めた市民活動。多くの歯車がかみ合って、氷見市の地域回想法が回っているように感じました。
小谷さんは地域回想法を通じて、高齢者の方々と小学生の交流事業を行ったときのこと。昔の話を色々と聞かせていただいた後、最後に「80年生きてきたおばあちゃんの手をさわってみましょう」と呼びかけ、小学生たちはその手をさわり握らせていただいたそうです。
老いるということは何かを失うだけでなく、経験という豊かな財産を蓄積させていくことなのだと、そしてそれは何ものにも代えがたい価値のあることなのだと、私たちは改めて認識しなければいけないのでしょう。
オープンディスカッション「浪江の記憶の残し方・伝え方」(1月11日開催)打ち合わせ
少し寒さが和らいだクリスマスイブ。
2021年最初のイベント、1月11日(月・祝)に二本松市で開催するオープンディスカッション「浪江の記憶の残し方・伝え方」の事前打ち合わせを行いました。
まずは、講師を務めてくださる御三方と浪江町立津島小学校へ。
講師のお一人、浪江小学校津島小学校を応援する会会長の原田雄一さんにとってはこの10年間通い慣れた小学校。
人間文化研究機構国文学研究資料館准教授の西村慎太郎さん、歌人の三原由起子さんは初めての訪問です。
本オープンディスカッション開催の背景となった二本松市内の再開校・浪江小学校と津島小学校の「ふるさとなみえ科」と
その活動を残し伝える博物館づくりについて、木村校長先生にお伺いしました。
休校・閉校している浪江町立の6つの小学校を代表するつもりで避難先の二本松市で開校してきたこと。
当初は、浪江町を離れて育つ小学生たちに浪江を知ってもらう趣旨だったこと。
やがて、暮らす二本松市と浪江町の両方の歴史と文化を学ぶようになったこと。
そして、閉校が決まってからのこの2年間はこの10年間を残す活動をしてきたこと。
昨年度閉校した浪江小学校に続き、今年度閉校する津島小学校最後の児童・須藤嘉人君が先生たちと、少しお手伝いしているライフミュージアムネットワーク と、この半年かけて作ってきた「10年間まるごとなみえ博物館」も特別に見学させていただきました。
続いて、原田さんが二本松市内にある浪江町の皆さんが暮らす復興公営住宅近くに再開した原田時計店へ。
浪江町にあった3店舗が軒を並べる建物は時に駐車場にテントを貼って浪江町のみなさんの交流イベント会場にもなっています。
二本松市内にポツンと存在することになった避難先再開校の浪江町立浪江小学校・津島小学校に本来あるべき地域との関わりをできるだけ渡したいと、この10年間、小学校の支援をしてきたという原田さん。
その思いをお聞きした後、ディスカッションの内容について話し合いました。
西村さん、原田さん、三原さんがこれまでそれぞれに取り組んできた「浪江の記憶の残し方・伝え方」。
1月11日(月・祝)は、「小学校」を起点に議論することになりそうです。
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