活動報告
連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第2回「清の眼 根っこの眼 それぞれの地域学」
9月19日(土)、連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第2回「清の眼 根っこの眼 それぞれの地域学」を
やないづ町立斎藤清美術館で開催しました。
前半では、斎藤清美術館学芸員の伊藤たまきさん、福島県立博物館学芸員の大里正樹さん、農家民宿山ねこ店主の金子勝之さんから、それぞれの「眼」についてお話しいただきました。
トップバッターは伊藤たまきさん。
柳津町地域おこし協力隊が地域のお宅の大切なもの「家宝」について聞き取りを行い、それら家宝をエピソードや協力隊(実は美大生)の作品とともに齋藤清美術館で展示する「家宝展」について。
いわばよそ者である協力隊が柳津を見る眼差しは、異郷者として柳津を見つめた斎藤清の眼差しと似ているのではないか、異郷者だからこそ見いだせるものがあるのではないか、とお話しいただきました。
大里正樹さんは民俗学を専門とし、柳津の冑中(かぶちゅう)地区のニンギョウマンギョウ(男女の藁人形を作り、悪いものを払う行事)を調査しています。
地区の行事として営々と続けられてきましたが、農業の機械化等により人形作りにかかせない長い藁が入手困難となり、一時は存続が危ぶまれました。その時、藁の調達をしてくれたのが、幅広いつながりを持つ金子さんだったそうです。
行事を続けていくのは地区の方々ですが、それを助け、記録し、後世へと伝えていくためには、外の眼と手が必要なのかもしれません。
金子さんは柳津の砂子原地区にお住まいで、一切農薬や化学肥料を用いない農業を行っています。
砂子原地区は柳津を流れる滝谷川の上流にあるからこそ、下流に悪いものを流してはいけない、という思いがあるそうです。
先人が行ってきたこと、受け継いできた土と水を謙虚に引き継ぎ、そうしてできた野菜を美味しいと言ってもらえることに無上の幸せを感じるとお話しいただきました。
後半は、柳津の土地にしっかりと根をはった金子さんと、異郷者たちが交錯することで起こる化学変化についてディスカッションが展開しました。
キーワードは「謙虚さ」「感謝」「幸せ」。
今はここにいない人、今につながる膨大な時間、
そういった目に見えないものを想像し、敬意をもって受け止め、次に伝える。
それが、ここで生きていくということなのではないか。
最後に金子さんから「蚊燻し」が紹介されました。
会津木綿は最初衣類となり、ぼろぼろになったら雑巾となり、雑巾としても使えないほど擦り切れたら最後は「蚊燻し」になります。
擦り切れた会津木綿を藁で縛り火をつけ、煙で蚊を近づけません。そして最後は灰になり、畑の栄養となります。
その循環。
そうしてつないだ命であるということに感謝する生き方。
それを金子さんに教えていただきました。
斎藤清美術館が
金子さんの根っこの眼と、清の眼=異郷者の眼が交わり、
新しい何かを生み出す場になっていくこと。
その可能性が語られた第2回オープンディスカッションでした。
連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第1回「文化の泉を掘る~三島町歴史文化基本構想について~」モニターレポート
2020年8月8日(土)、三島町工人の館で開催された、
連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第1回「文化の泉を掘る~三島町歴史文化基本構想について~」にご参加いただいたモニター参加者のレポートを公開します。
参加してみての感想、奥会津に対する思い、課題などについて、多様な視点から語られています。
今年度は新型コロナウイルス感染症の影響から、多くの方にご参加いただくことが難しくなっていますが、
その場で語られたことを、さまざまな形でお届けできればと思います。
ぜひお読みください。
レポート1 林あゆ美「文化の泉を掘る~三島町歴史文化基本構想について」に参加して
文化の泉を掘ることは、次の世代である子どもたちにふるさとを残していくことにもつながるという話も出まし た。総合学習で、虫供養などが子どもたちに伝わっていき、夏休みには工芸館で編み組をつくり、自然な形でふるさとの文化が継承されていくのはとても素敵だと思いました。子どもの頃の体験、思い出は、その後の人生の背骨になります。ふるさとの文化が自然な形で体が覚えていれば、離れてもふるさとに戻ってくる道が残され、お守りのような存在になりそうです。(抜粋)
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レポート2 岩波友紀「「文化の泉を掘る~三島町歴史文化基本構想について」に参加して
町の活性化に躍起になる場合、何か新しいことを始めることが多く行われたり、それでも今では地域の文化を「売り」にする試みは全国的にありますが、50年も前から三島町では地域の文化に目をつけ守り続けてきたことを知り、その先見の明に驚きでした。さらに町民が意識せずに民俗文化を大切にしていることは、その歴史の長さゆえの結果であり素晴らしいことだと感じました。こういった地域の民俗文化は、意識するものでなく生活の一部であったものです。同じように継承され続けていても、どれだけ「保存しよう、やらなきゃ」と意識することなく、自然に行われるかというのが根本的に意味のあることだと改めて感じました。その「意識しない感」は三島町ではどの程度なのかを、深く知りたかったです。(抜粋)
レポート3 青木慎太郎「モニター参加者レポート」
「奥会津らしさ」を形作るものは、風景や特産品といった「今そこにあるもの」だけではなく、これまでこの地域の人々が紡いできた生活や風習など、いわゆる奥会津の文化がその大きな部分を占めているのではないかと考えるようになりました。これまでの奥会津の人々が紡いできた文化、それは決して重要文化財や大きなお祭りばかりではなく、この地域に住まう人々が日常的に送ってきた生活であり、その生活の中で生まれる民具であったり、風習であったり、信仰であったりするなのではないかと思います。(抜粋)
連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第1回「文化の泉を掘る~三島町歴史文化基本構想について~」
8月8日(土)、連続オープンディスカッション「奥会津の周り方」第1回「文化の泉を掘る~三島町歴史文化基本構想について~」を三島町工人の館で開催しました。
奥会津でいちはやく、平成23年に策定された「三島町歴史文化基本構想。
策定に携わられた矢澤源成氏(三島町長)、赤坂憲雄氏(学習院大学教授/元福島県立博物館長)に、当時の思い、交わされた議論、そしてこれからについてお話しいただきました。
「足下の泉を掘れ」を合言葉に、いわゆる「文化財」ではなく、足下にある自分たちが本当に大切にしたいと思うものについて議論を重ねてこられたこと、そうして編まれた三島町の物語こそが文化であることを教えていただきました。
その背景には、市町村合併などによって、それぞれの地域に住まう土地の神・産土(うぶすな)神や、産土神を紐帯とする地域のコミュニティが失われてきたことに対する思いがあったといいます。
今一度、幸福とは何なのか、この土地で暮らすとはどういうことなのか見つめ直し、自らの誇りとし、こどもたちに伝えていくこと。
そうすることで、たとえ三島を離れたとしても、「自分は三島の子だ」というしっかりとした骨格ができるのではないか。
生活工芸館をはじめとした地域の文化施設が、そうした文化を伝え学ぶ場になってきていることについて、対話がなされました。
奥会津各町村それぞれの個性を大切にしながら互いに認識を深めあっていくことが、自己認識を深めることにもつながる。
地域の文化施設がその場となり、継続的に行き来を続けていく仕組みづくりが大切という提言もなされました。
この連続オープンディスカッションが、その一つの場となれるよう回を重ねていきたいと思います。
ディスカッション終了後の振り返りミーティングでは、次回の柳津町にしっかりとバトンが渡されました。
ミュージアムは産土になり得るか
を大きなテーマに、対話のリレーをつづけます。