ポリフォニックミュージアム(ライフミュージアムネットワーク実行委員会)

令和3年度地域と共働した博物館創造活動支援事業

ポリフォニックミュージアム

 


ライフミュージアムネットワーク実行委員会はこれまで培ってきたネットワークを基盤として、令和3年度より新たにポリフォニックミュージアムを立ち上げました。

福島県立博物館がプラットフォームとなり、地域ミュージアムや文化スペースと協働することで、
県内各地のミュージアムに社会的課題に向き合うための拠点を設け、活動を拡張します。
それらの拠点は多様性・循環型社会などのキーワードによって結ばれることで、さまざまなミュージアムの星座を描き出すでしょう。

これはICOM京都大会で提案された「過去と未来についての批判的な対話のための民主化を促す包摂的で様々な声に耳を傾ける空間(ポリフォニックスペース)」を各地に創出するための福島県立博物館の試みでもあります。

 具体的には、福島県内の地域ミュージアムや文化スペースと連携・相互支援を行い、アーティストや研究者などから外部の多様で新たな思考方法を取り入れ、高校生などの将来世代を含む多世代と協働することで、ミュージアムの基本機能の強化と新たな活用を図ります。
各地域固有の歴史文化の再認識・再発見と、そこから立ち上がる課題への向き合い方の考察、その先にある未来像の創出を通して、ミュージアム的な場を多様に展開することにより、持続可能な地域社会への貢献を目指します。


事業概要は こちら (PDF形式)

 


ライフミュージアムネットワーク2018₋2020の事業趣旨・概要

お知らせ

記録集・成果物配布のお知らせ

2022年4月9日 17時30分

ポリフォニックミュージアムの活動をまとめた記録集・成果物を作成しました。

2021年度は、各地でのリサーチ、ラウンドテーブルで語られた言葉の記録とともに、高校生とともにまちを歩いたアートワークショップ「白河まち歩きフォトスゴロクを作ろう!」、食をテーマに飯舘といわきでリサーチを続けたアートワークショップ「海幸山幸の道」、博物館が安心して自己表現できる場になるために会津支援学校やトアル教室のみなさんと学校・教室と博物館を行ったり来たりしたアートワークショップ「博物館部」の内容をお伝えする5冊セットの記録集となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多くの方にお読みいただきたく、限定50セット(先着順、なくなり次第終了)をご希望の方にお配りいたします。
来館の上お受け取りいただける方は福島県立博物館受付カウンターでお声がけください。
送付をご希望の方はお電話かメールで下記をご連絡ください(*は必須)。
送付ご希望の方は、大変申し訳ありませんが宅急便着払い送料をご負担くださいますようお願いいたします。

 

1*:氏名

2*:郵便番号と住所

3*:電話番号

4:メールアドレス

5*:希望セット数(2セットまで)

6:ポリフォニックミュージアム(ライフミュージアムネットワーク実行委員会)をお知りになったきっかけや、記録集をお申込になった目的を教えてください。

 

【申込先】

TEL 0242-28₋6000(福島県立博物館代表)

E-MAIL general-museum@fcs.ed.jp(福島県立博物館代表)

LMN実行委員会事務局:塚本麻衣子

 

【記録集内容】※5冊セットでの送付となります。

①ポリフォニックミュージアム記録集

②アートワークショップ「白河まち歩きフォトスゴロクを作ろう!」成果物
「まち歩きフォトスゴロクノート」

③アートワークショップ「海幸山幸の道」成果物
「海幸山幸の道」

④アートワークショップ「博物館部」成果物
「ヤベアベ学級との12月」

⑤アートワークショップ「博物館部」成果物
「スペース・トアル 虹色の子どもたちと」

 

【着払い送料の目安(1セット)】

北海道:1,480円

東北・関東:1,150円

北陸:1,260円

関西:1,370円

九州:1,810円

沖縄:2,140円

ラウンドテーブル「開く、ミュージアム」動画公開

2022年4月6日 18時40分

みなさんにとってミュージアムとはどんな存在ですか?
全国各地にあるミュージアム。そのあり方は各館の設置目的に応じて多種多様です。本ラウンドテーブルは、様々な声に耳を傾け続けている空間(ポリフォニックスペース)を各地に創出することを試みているポリフォニックミュージアムの今年度活動の総まとめとして、地域や人々との連携により館の運営を実現している先進的な事例をお聞きし、ミュージアムの開き方について、意見を交える場となりました。

動画はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラウンドテーブル「開く、ミュージアム」
日時:2022年1月23日(日)13:30~16:00
会場:福島県立博物館講堂、オンライン
講師:柳沢秀行さん(大原美術館学芸統括)
   楠本智郎さん(つなぎ美術館主幹・学芸員)
   岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)
ディスカッションモデレーター:川延安直(福島県立博物館副館長/LMN実行委員会事務局)
※参加者は来場による参加のほか、オンラインでもご参加いただきました。
撮影・編集:喜多方シティエフエム株式会社

ラウンドテーブル「土地を知るには食から」動画公開

2022年4月6日 18時38分

その土地の気候風土に育まれて得られる食材は、その土地そのものです。そしてそれら土地の恵みの良さを引き出しながらつくられた料理は、その土地とそこで暮らす人の個性を生み出すものです。私たちの身体と心は、その土地から生まれる食べ物でできています。
その土地を知ろうと思ったら、食を調べること。
世界各地で食のリサーチを行っている写真家でジャーナリストの森枝卓士さん、奥会津でのリサーチを重ねて土地の姿を丁寧にとらえようとしている民俗学者の赤坂憲雄さんをお招きし、食のリサーチの意義と醍醐味をお聞きしました。
また、当実行委員会が行ったアートワークショップ「海幸山幸の道」と、昭和村が実施した明治時代と昭和時代の婚礼料理の再現についての報告もあわせて行い、それぞれから見えてきた、浜通り、中通り、会津の食の歴史と現在について共有しました。

動画はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラウンドテーブル「土地を知るには食から」
日時:2022年2月5日(土)13:30~16:00
会場:福島県立博物館ティールーム、オンライン
講師:森枝卓士さん(写真家/ジャーナリスト/大正大学客員教授)
   赤坂憲雄さん(民俗学者/学習院大学教授/元福島県立博物館館長)
報告:塚本麻衣子(福島県立博物館学芸員/LMN実行委員会事務局)
   松尾悠亮さん(昭和村からむし工芸博物館学芸員)
※参加者はオンラインにてご参加いただきました。
撮影・編集:喜多方シティエフエム株式会社

ラウンドテーブル「つくる・つかう・展示する」動画公開

2022年4月6日 18時37分

柳津町にある斎藤清美術館では、2019年から「やないづの家宝展」を毎年開催しています。同館に所属する地域おこし協力隊が、柳津町のみなさんに地域のことを取材し、その中で出会った「家宝」のような大切なモノ・コトを地域おこし協力隊の視点でまとめ、表現したものです。
3年目となる「やないづの家宝展2021」開催にあわせ、全国のアートプロジェクトに精通するNPO法人アーツセンターあきたディレクターの橋本誠さんを講師にお迎えして、類似する視点の事例についてお聞きしながら、地域に残るモノ・コトからわかる「つくること」「つかうこと」の意味と、「展示する」というミュージアムならではの手法の可能性を考えました。

動画はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラウンドテーブル「つくる・つかう・展示する」
日時:2022年2月6日(日)13:30~15:30
会場:やないづ町立斎藤清美術館、オンライン
講師:吾妻泉香さん(柳津町地域おこし協力隊)
   谷野しずかさん(柳津町地域おこし協力隊)
   塚原有季さん(柳津町地域おこし協力隊)
   橋本誠(NPO法人アーツセンターあきたディレクター/LMN実行委員会委員)
参加者(オンライン):
   福留邦洋さん(岩手大学地域防災研究センター教授/賢者※)
   中野陽介(只見町役場地域創生課ユネスコエコパーク推進係主査/只見町ブナセンター主任指導員/LMN実行委員会委員)
協力:やないづ町立斎藤清美術館
※共通の課題を抱える県内外の地域ミュージアム・アートプロジェクト関係者、アーティスト、研究者等の専門的知識を有する人を本事業では「賢者」と称しています。
撮影:喜多方シティエフエム株式会社

ラウンドテーブル「ヤベアベ学級との12月」動画公開

2022年4月6日 18時34分

福島県立会津支援学校高等部2年4組の3人の生徒さんと、お二人の担任の先生と、3人のアーティストと、ミュージアムと学校を行き来した12月。ミュージアムと出会い、その出会いに起因した創造を楽しむ時間を築いてきました。
1セット目は、福島県立博物館を空間ごと楽しみ、展示具や展示台、展示空間の面白さを見つけました。生徒それぞれが見つけた博物館の好きな所は、学校でのワークショップで「ミュージアムBOX」となりました。
2セット目で再び福島県立博物館を楽しんだ生徒たちは、博物館のフリースペースで思い思いに描くスイッチを手に入れたようでした。学校でのワークショップでは、そのスイッチが全開に。
本ラウンドテーブルでは、2セットのワークショップを映像で振り返り、支援学校とミュージアムの連携について、アーティストが関わることの意義、障がいについてどのように多くの方に知っていただくかなどをテーマに意見を交わしました。

動画はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラウンドテーブル「ヤベアベ学級との12月~支援学校と博物館をアーティストと行ったり来たりした3週間~」
日時:2022年2月3日(木)15:30~17:00
会場:福島県立博物館ティールーム、オンライン
講師:大江ようさん(TEXT代表)
   中津川浩章さん(美術家/アートディレクター)
参加者(オンライン):
   阿部美由紀さん(福島県立会津支援学校講師)
   加藤香洋さん(福島県立会津支援学校校長)
   佐野美里さん(彫刻家)※メッセージで参加
   杉本雅昭さん(福島県立会津支援学校副校長)
   森内康博さん(映像作家)
   矢部翔太郎さん(福島県立会津支援学校講師)
   岡部兼芳(はじまりの美術館館長/LMN実行委員会委員)
   鈴木晶(福島県立博物館長/LMN実行委員会委員長)
編集:らくだスタジオ

活動報告

アートワークショップ「つくること・つかうこと」打合せ

2021年11月12日 16時13分

アートワークショップ「つくること・つかうこと」。
コロナの影響を受け、思うように進められなかった夏が過ぎ、
ようやくフィールドとなる只見町で打ち合わせを行えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夏日から一転、秋の気配が色濃い雨模様の奥会津・只見町。
霧に煙る山並みが見える只見・ブナと川のミュージアムに只見町の中野さん、新国さん、
そして、これまでのライフミュージアムネットワークの奥会津の事業でご一緒いただいていた柳津町の齋藤清美術館の伊藤さん、
同美術館に所属する地域起こし協力隊の我妻さん、谷野さん、塚原さん、
事務局メンバーの福島県博学芸員が集まりました。


只見町でのアートワークショップのテーマは「つくること・つかうこと」。
SDGsの「つくる責任・つかう責任」を意識したテーマです。
昨年度までのライフミュージアムネットワークの奥会津での事業の成果を共有した後、同テーマで捉えた場合の只見町の課題、柳津町の現状、じゃあ、どうしようか、を話しあいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然の恵みを得て、知恵によって道具を作り、使ってきた奥会津。
高齢の方達とその下の世代との考え方の違い。暮らし方の変化。
大切に思えることを、どのように伝えたり、残したら良いのか。
今日の議論を集約すると、キーワードは「民具ってなに?」だった気がします。
道具をつくる季節である冬を前に、方向性が見えてきました。
冬にかけて「つくること・つかうこと」を探っていきます。

白河アートワークショップ 陸奥賢さんレポート

2021年11月12日 16時09分

白河アートワークショップを担当してくださっている陸奥賢さんの白河リサーチレポートです。


街歩きの賢者はさすがの眼力をお持ちです。
数日の街歩きで見事に地域の特徴を掴み、そこから導きだされた白河とそこに暮らす人々への温かいエールでもあります。
いただいた白河への視点を高校生や若い世代に伝える手法をこれから考えていきます。
陸奥さん、ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いします。


≪陸奥賢さんによる白河レポート≫
白河で、まず気になったのは寺院の多様性。天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗に黄檗宗、時宗の寺院まであると聞いて驚く。
その理由としては、白河は、江戸時代、7家21代もの藩主の入れ替わりがあり、それに伴って藩主の檀家寺が移設され、それが多彩な寺院の集積に繋がっているという。白河は奥州街道沿いにあり、東北と関東を結ぶ重要な拠点となる。そこに大藩を置いて勢力を保持されることは幕府からするとあまり望ましいことではなかったのだろう。結果として、藩主を次々と変える戦略がとられて、その結果、ポリフォニックな宗教都市ができ上ったように思う。
宗旨・宗派の違いは、現代人にはそれほど強く意識されないが、江戸時代の人にとってみれば、宗旨や宗派には、かなり強い帰属意識やアイデンティがあったと思われる。「門徒もの知らず」「法華骨なし」「禅宗銭なし」「浄土情なし」といった他宗を揶揄する言葉があるが、地域によっては、宗旨・宗派の違いによって深刻な対立や分断などもあった。白河は、しかし、宗旨・宗派の違いなどを柔軟に受け止め、「いろんな宗教があっていい」という涵養の精神が培われたのではないだろうか。この手の自分とは違う背景、バックボーンを持つ人間=他者への寛容性が白河にはあったように思うし、これが白河の戊辰戦争時の東軍、西軍問わず戦死者を供養した…という「仁」の精神の拠り所になったのかも知れない。


次々と藩主が変わった都市といえば、浜松などがある。クリエイティブサポートレッツの仕事などで、何度か訪れているが、ここも東海道沿いで、戦略上、重要な拠点であり、江戸時代は大藩が置かれなかった。それで、浜松気質を表す言葉として「やらまいか」という方言があった。藩主(お上)が次々と変わるので、あてにならない。だから自分たち町衆でなんでもやっていこうという気概があり、それを「やらまいか」(やってみようではないか)精神というらしい。じつは、この「やらまいか」に似た精神性が白河にもあるのではないか?と推測している。今回の白河訪問では博物館、ミュージアム関係者が多く、あまり町衆(市民、住民)との接点は多くなかったが、コミュニティカフェ「EMANON」のみなさんには、そういう逞しいスピリッツを感じた。高校生たちで企画し、取材し、執筆し、編集しているというフリーぺーパーの存在やクラファンやDIYによるゲストハウス運営などを、その証左として挙げておきたい。


戊辰戦争はあったが、太平洋戦争などの空襲はなく、戦後のモータリゼーションの影響(主要道路、バイパスなどは白河郊外にひかれた)もそれほど受けなかったのが、白河の都市の面白さと可能性で、「通り五町」などは城下町時代の面影を色濃く残している。じつは城と町のあいだに国鉄(JR)が引かれ、それによって城(とくに会津町武家屋敷などは、ほぼ崩壊していて見事なまでに何も残っていない。残す気がなかったのか?この武家屋敷への無関心さにも町衆の自立性・自主性を感じる)と町が分断されているが(駅の北に城があり、南に町があり、この分断構造もちょっと面白い)、江戸時代の町割(通り五町)は、ほぼ、そのまま維持されているのが素晴らしい。それが白河をヒューマンスケールな都市にしているし、「歩ける都市」にしている。この「人間味」「温かみ」のようなものは、もっと注目されていいと思われる。
「だるま市」「提灯まつり」といった祭礼もあり、これも非常に気になっている。できれば、こうした祭礼の時期の白河もぜひとも訪問して見てみたい。祭礼をみれば、町衆がわかるし、都市がわかるものだから。


まだ十分に白河の調査はできていないが、ファーストコンタクトの印象としては、「まち歩きのまち」としてのポテンシャルは高く、いろんなまち歩きが仕掛けられるのではないか?と予感している。


2021年9月25日 陸奥 賢

白河アートワークショップ リサーチ二日目

2021年11月12日 16時07分

白河アートワークショップ調査二日目


二日目は、現在の白河市街の成り立ちについて、藤田記念博物館学芸員の佐川庄司さんからお話を伺いました。佐川さんは学芸員でもありますが、長く白河市建設部でまちづくりに携わってきた方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白河市街地の都市計画は、ほぼ400年前に誕生しました。もともと、白河は中世の南東北で大きな勢力を持った結城氏の拠点「白川城」がありました。しかし、慶長年間に小峰城が改修されると、現代と重なる街並みが整備されました。吹き付ける那須颪から町を守るため、立石山・天神山を風よけにして奥州街道を東西にのばし、城下町がつくられたと考えられます。人口の増加に対応して、阿武隈川の流路を変えたり、新しい街区を整備したり、少しずつですが城下町は拡大していきます。


大きな転機を迎えたのは戊辰戦争と明治の近代化です。白河は戊辰戦争直前に、城主阿部氏が転封、後続の大名配置が先送りになっていたこともあり、武士不在の町として戊辰戦争をくぐり抜けます。小峰城は石垣を残してほぼ焼失、武家屋敷は明治時代には田畑になってしまいました。
明治20年に鉄道が開通しますが、旧外堀と武家屋敷跡地に敷設されたため、町人が暮らす街並みには大きな影響を受けませんでした。
大正時代には市街地の両端に旧制白河中学校と白河高等女学校が置かれ、新たなまちづくりがおこなわれるようになります。
一方で、昭和55年に東北新幹線が開業すると、広大な平地をもつ郊外に商業施設・住宅地が誘引されていくようになります。


駅・鉄道が市街地を避けたこと、第二次世界大戦中に空襲の被害がなかったこと、昭和45年に市街地を迂回するバイパスが通されたこと。奇跡と言ってもよい、さまざまな要素が積み重なって、白河は城下町としての性格が色濃く残ったことがわかりました。


午後には市街地を離れ、戊辰戦争の激戦地となった稲荷山、原始の人びとの生活を伝える文化財センター白河館(まほろん)、松平定信が掲げた「四民共楽」の象徴でもある南湖公園を見学し、白河の街並みと、その奥底に眠る文化に目を向けることができました。

 

白河アートワークショップ リサーチ一日目

2021年11月12日 16時02分

白河アートワークショップでは、地域の高校生とともに、白河のまちの魅力を探ります。
まち歩きの達人・陸奥賢(観光家・コモンズデザイナー)さんをお招きし、白河のまちのリサーチを行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

白河アートワークショップ調査1日目
コロナ禍の影響で、現地白河へなかなか調査に伺うことができずにいましたが、ようやく始動することができました。
白河に限らず地方で大学等の高等教育機関がないまちでは、一定数の若者が、一定の期間、確実に町を離れてしまうことになります。そのため、地元を離れる前に、高校生がアーティストや研究者とともに地域を学び、地域の歴史や伝統文化に触れる新たな視点・学びの方法を得ることができないかと考えました。

知識が増え、町の見方が変わることで地域への愛着も増すのではないかと考えています。まして、白河市の中心部では人口減少が進み、かつての中心市街地に住む若者も少なくなり、町中心部を歩いたい見て回ったりする機会も少なくなっているのではと思います。

歴史的に見ると松平定信公が治めた城下町でもあり、福島県を語るうえで重要な戊辰戦争の舞台にもなった白河を三日間かけて調査してきました。

今回の担当はほぼ白河素人なので、第1日目の午前中はレンタサイクルを利用して、町中を確認してまわりました。
午後、今回の拠点として考えているEMANONを出発地点としました。市役所建設部からもご参加いただき、100円で食べられるものを探しながら小路を訪ねました。たくさんの寺院・宗派が混在し、東北では珍しい宗派の寺院も訪ねました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辻々に戊辰の犠牲を弔う石碑や、大正時代の建築、昭和の看板などなど、時間を経て現代につながっている町の姿を確認してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

二日目以降は、どのように町が成立し今の姿になってきたのか調査を進めていきます。

アートワークショップ「海幸山幸の道」リサーチ・撮影(飯舘・浪江)

2021年11月12日 12時30分

「海幸山幸の道」では、阿武隈山系から沿岸地域に至る食の記憶と現在についてインタビューを行い、その土地の風景とともに伝える映像作品を制作します。


8月22日~23日、前回リサーチさせていただいた飯舘村を、映像作家の飯田将茂さんと再び訪れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


22日
認定NPO法人ふくしま再生の会の田尾さんにご案内いただき、帰還困難区域となっている長泥地区へ。
そこでは5000ベクレル以下の除染土を埋め、山砂を積み、「再生」が行われています。
「再生」とは何か。
動植物や地中の細菌が織りなす営みによって土がつくられ、その土を耕し、土の恵をいただいて、人と自然が共生する社会を生み出すことではないのか。
解決策や解答がなくても、現場から考えること、考える場をつくること、みなが考える席につきそこから始めること。
長泥地区の風景の中で語られる田尾さんの言葉を記録しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームセンター・コメリ跡地で、合同会社MARBLINGの矢野純さんにお話をお聞きしました。
MARBLINGの考える「未来のいなか」は、決して都会の人が求める「理想の田舎」ではない。「スローライフ」なんてとんでもない。人間にはままならない自然を相手に、始終働き続け、その結果が実らないことも受け入れる生き方。そこには驚くほどの知恵と技とアートがある。この場にじっくり身をおいてこそわかることがあることを知る仕組みを考えていきたいとお話しいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

23日
まず斎藤次男さんの畑を撮影。前回伺った時に青々としていた葉は枯れていましたが、カボチャや瓢箪はいよいよ大きく実っていました。
斎藤さんが考える土づくりについて、ぜひ次回お伺いしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に牛牧場を営む、山田猛史さん・豊さん親子を訪ねました。山田さんは大規模牛舎、田んぼ跡地の放牧地、丘を切り開き運動場を備えた牧場と、3種類の形態で牛を育てています。
今回は丘の牧場を訪ねました。牛たちのどこか伸びやかな表情が印象的でした。
帰還後の状況に応じてそれぞれ営まれてきた形態やマーケティングについて教えていただきました。
飯田さんが注目したのは猛史さんの頑健な体つき。牛と付き合ってきた暮らしが猛史さんの体をつくりあげています。現場に根差して生きることの意味を何よりも雄弁に物語っているようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後半はミズアオイの群生地を求めて浪江町へ。
ミズアオイは古代から日本に自生する水辺を好む花。田んぼの開発や除草剤の使用によって絶滅危惧種になっていましたが、福島では東日本大震災による津波のあと、地中に眠っていた種が目を覚まし、各地で群生するようになりました。復興が進む中で次第に姿を消しつつありましたが、最近、除染土を入れたフレコンバッグが置かれていた浪江町の田んぼ跡地に群生していることが報告されました。
ミズアオイは、私たちの食生活を支える水田開発、震災と津波、復興への取り組みと刻々状況が変化する中、人と自然との関係性を象徴するかのような花です。
実際に訪れたミズアオイの群生地は、想像をこえて広がっていました。どうしてこのように広範囲に群生しているのか、その理由はまだわかりません。
ただ圧倒的に美しく、そこに咲いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海幸山幸の道」ではリサーチと撮影を重ねていきます。