会津藩の蝦夷地警備
文化元年(1804)、ロシア帝国はニコライ・レザノフを日本へ派遣し、江戸幕府に対して、通商を要求しました。幕府が通商の要求を拒否すると、ロシア兵が文化3年(1806)9月に樺太の久春古丹(クシュンコタン)を襲撃しました。さらに翌文化4年4月には、択捉島にロシア兵が上陸し、幕府の施設を襲撃しました。これを受けて、幕府は東北の藩に蝦夷地警備のため、出兵を命じます。警備に派遣された軍勢は、約3,000人。このうち約1,600人が会津藩士でした。立藩以来、実戦経験がなかった会津藩。藩の武威を世に示す機会であると考えた大老田中玄宰(三郎兵衛)の差配により、積極的な派兵が行われたといわれます。
文化5年4月、軍将の家老内藤源助の部隊は宗谷に、陣将の家老北原采女の部隊は樺太に到着し、それぞれ警備に就きました。その後、会津藩による警備は、文化6年まで続きましたが、ロシア兵が現れなかったため、戦闘はありませんでした。しかしながら、この出来事は、蝦夷地の護りの重要性を幕府に強く印象付けました。一方で、会津藩は蝦夷地警備の実績により、のちに江戸湾警備を命じられることになります。
【展示資料】
・北原采女書状 田中玄宰ほか4名宛 文化5年(1808)4月20日 個人蔵・当館寄託
・諏方伊助ほか3名書状 内藤源助宛 文化5年(1808)8月6日 個人蔵・当館寄託
・蝦夷闔境山川地理取調大概図 安政7年(1860)1月 当館蔵
開催概要 |
期間 令和7年8月9日(土)~令和7年10月3日(金)
会場 総合展示室「近世」
主催 福島県立博物館
料金 常設展料金でご覧になれます。
一般・大学生:400円(320円)※( )内は20名以上の団体
高校生以下:無料
8/21県民の日・9/15敬老の日は、常設展観覧料が無料